同じ問題なのに
中学校の定期テストは作成担当が変でなければ、教科書(もしくは自作のプリント)やワークからの出題がほとんどです。
聞き方や数字をどれくらい変えるかは場合によりますが、ワークを適当に済ませてよいことは絶対ないでしょう。
さて、同じ定期テストの問題を解いているにもかかわらず、「ワークからたくさん出た」と「ワークから全然出なかった」という真逆の意見に分かれることがあります。
同じワーク、同じテストを解いているはずなのに、なぜこのような極端な違いが生じるのでしょうか。
使う要素は同じか
意見が分かれる状況になる時は、毎回ある傾向が見えてきます。
それは、「ワークから全然出なかった」という子の中に高得点者は全然いないということです。
このことから、安定して高得点をとれる子とそうでない子にはワークの向き合い方に違いがあるように思えます。
「ワークから出題された」という言葉をどこまで文字通りとらえるべきでしょうか。
ワークと一字一句完全に一致しているということはほとんどないでしょう。
では、数字や語句を変えただけであればどうでしょうか。
このあたりから出た出てない論争が始まってきます。
そして、解答に用いる要素は同じでも見た目が違う問題では、出た出てないに明確な違いが生じます。
一般的に平均点に届かない子は問題を絵のように覚えることが多いです。
つまりワークに掲載されている問題を内容ではなく見た目で覚えます。
この見た目の問題はこう解けばよかったという具合です。
例えば、長方形の縦と横の長さが与えられたら、無条件で縦×横で面積の計算をしてしまうような感じです。
そこで問われていることが面積なのか、周の長さなのか、対角線の長さなのかといった判断をスキップしてしまいます。
また、大小2つの長方形の面積を求める問題だとしたら、これはもう見たことがない問題に様変わりしてしまい、ペンが全く動かなくなってしまいます。
一方、高得点の子であれば、それぞれの長方形の面積を足せばよいという判断をし、「長方形の面積を求める問題」という認識の枠内でそのまま処理します。
ここがワークから出たのか出なかったのかの判断の分かれ目です。
勉強が苦手な子からすると、定期テストの出題が同じ知識を問うものでも、ワークでやったものとは見た目が違うので、それはワークから出たものにはならないのです。
ここまで書いてきましたが、中学までの内容であれば派生型のパターンすらそのまま暗記して乗り切るという荒業もまだ通用すると思います。
しかし、高校の内容でほぼ確実に詰みますので、大学に進学する予定なら、時間をかけてでも見た目ではなく内容で覚える訓練に切り替えましょう。